1.

論文

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鎌田, 耕太郎
出版情報: 弘前大学大学院地域社会研究科年報.  12  pp.27-33,  2016-03-18.  弘前大学大学院地域社会研究科
URL: http://hdl.handle.net/10129/5906
概要:  C. Darwin は1831年8月上旬にA. Sedgwickの指導のもと、ウェールズ北部において地質調査を行った。この調査は、ダーウィンにとっては将来のカナリア諸島調査のための技術習得で、セジウィックにとっては夾炭層以下の地質系統を解 明し、下部古生界の年代層序の確立をめざす画期的な事業の始まりであり、異なる事情が遭遇した出来事であった。このような時代背景は自伝にはそれとわかるように記述されてはいない。ダーウィン自伝やビーグル号航海記の記述には必要な時代背景の説明を欠く傾向があり、時系列的にみると記述の不備も認められる。その例として、ここではフォークランド諸島産の化石について検討した。航海記でシルル系産とみなされた標本は、実際にはデボン系産の腕足類であり、発見時に産出層準の年代には言及できなかったことをフィールドノートの記述や文献から明らかにした。 続きを見る
2.

論文

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鎌田, 耕太郎
出版情報: 弘前大学教育学部紀要.  pp.49-55,  2014-10-14.  弘前大学教育学部
URL: http://hdl.handle.net/10129/5738
概要: Charles Darwin は1831年8月にA. Sedgwick の指導のもと、ウェールズ北部において地質調査を行った。自伝ではセジウィックがシュルスベリーにあったダーウィン家を訪れ、シュルスベリー付近で産した化石の真偽の議論に始まり 、ウェールズで地形や地質の観察を続け、調査方法の指導を受けたが、友達に会いに行きウズラ狩りに参加するために突然中断する、という形で語られている。これは偉大な科学者の些細なエピソードにも見える。 しかし19世紀初期、それまで自然神学の一部であった地質学は、経験科学的手法の蓄積により近代地質学に脱皮する時期を迎えていた。1831年8月のセジウィックの調査目的は、夾炭層以下の地質系統の解明で、顕生代の年代層序が確立される画期的な事業の始まりであった。このような時代背景は自伝にはそれとわかるように記述されてはいない。その当時のダーウィンの地質学的思考は、岩相層序学や年代層序学的関心というよりは地誌学や自然地理学的視点に近かった。後年、進化論を唱え、「種の起源」を著す基礎として把握していた年代層序学的理解や古地理、構造運動の地質学的時間スケールでの変化を考察する能力は、ライエルの「地質学原理」の影響はあったものの、ビーグル号航海で直接した様々な地質現象の観察と、その解釈に集中できる時間を持てたことで独自に会得したものと判断できる。 続きを見る