1.

論文

論文
郡, 千寿子
出版情報: 弘前大学教育学部紀要.  pp.1-6,  2008-10-06.  弘前大学教育学部
URL: http://hdl.handle.net/10129/783
概要: 岩手県立図書館所蔵の往来物資料について調査し、分類整理を試みた。その結果、往来物資料の総数は70本であり、そのなかに近世期の版本は6本であることが判明した。青森の弘前市立図書館所蔵の往来物資料について、以前に調査した結果と比べると、総数も版 本も少ないといえるが、岩手県立図書館所蔵の近世期の版本のなかには、従来、報告されていなかった貴重な文献が含まれていることが明らかとなった。今回の調査では、地域における資料の偏在状況と、資料の分類整理を通してみえてきた教育内容についての一面を提示した。基礎的な研究段階であるが、それぞれの地域における教育環境や文化的背景の共通点や相違性など、新たな視点からの研究の可能性を示唆したものである。 続きを見る
2.

論文

論文
郡, 千寿子
出版情報: 弘前大学教育学部紀要.  pp.1-8,  2009-10-30.  弘前大学教育学部
URL: http://hdl.handle.net/10129/3371
概要: 八戸市立図書館所蔵の遠山家旧蔵本について、文献調査を行い、近世期の往来物資料について、整理と分類を試みたものである。その結果、往来物資料の総数は 本であり、そのなかに近世期の版本は 本であることが判明した。写本は 本であった。遠山家旧蔵本の 調査結果であり、遠山家でどのような文献が読まれていたのか、資料の偏在状況と、分類整理を通してみえてきた教育内容についての一面を提示した。八戸市立図書館には、他にも南部家文庫や百仙洞文庫に往来物資料の存在が確認でき、八戸市立図書館に所蔵される往来物資料は、かなりの数量になることが予想される。遠山家旧蔵本については、従来、未確認未詳の文献資料であり、ここに紹介することにひとつの大きな意義がある。基礎的な研究段階であるが、それぞれの地域における教育環境や文化的背景の共通点や相違点など、新たな視点からの研究の可能性を示唆したものである。 続きを見る
3.

論文

論文
郡, 千寿子
出版情報: 弘前大学教育学部紀要.  pp.1-6,  2010-03-31.  弘前大学教育学部
URL: http://hdl.handle.net/10129/3388
概要: 秋田県立図書館所蔵の往来物資料について、文献調査を行い、分類整理を試みた。その結果、往来物資料としては、かなりの所蔵数が確認でき、全容解明には時間を要することが判明した。今回は、近世期の版本についての調査結果を提示することにするが、総数は5 0本であった。継続的に行ってきた、北東北地域-弘前市立図書館・八戸市立図書館・岩手県立図書館-所蔵の往来物資料と比較すると、近世期版本の所蔵については、弘前市立図書館所蔵資料数には及ばないものの、岩手県立図書館や八戸市立図書館よりも見るべき文献資料が多いこと、そして、特に理数科往来の存在が際だっていることが明らかとなった。地域における資料の偏在状況と、資料の分類整理を通してみえてきた諸特徴についての一面を提示し、それぞれの地域における教育環境や文化的背景の共通点や相違性など、新たな視点からの研究の可能性を示唆したものである。 続きを見る
4.

論文

論文
郡, 千寿子
出版情報: 弘前大学教育学部紀要.  pp.1-6,  2012-03-22.  弘前大学教育学部
URL: http://hdl.handle.net/10129/4570
概要: 山形県酒田市立の光丘文庫に所蔵されている文献資料について調査を行い、特に近世期江戸時代に作成された往来物資料の所蔵状況について検討考察した。その結果、かなりの所蔵―総数 本―が確認でき、全容解明には時間を要することが判明した。本稿では、その 所蔵状況について目的別の9種類に分類整理の上、報告し、加えて版本の出版地域に着目した調査結果を提示した。継続的に行ってきた、北東北地域-弘前市立図書館所蔵・八戸市立図書館・岩手県立図書館・秋田県立図書館-所蔵の往来物資料と比較すると、多数多種の資料を有することや特に関西文化圏―京都・大坂―からの文献資料の流入が明らかとなった。地域における資料の偏在状況と、資料の分類整理を通してみえてきた諸特徴についての一面を提示し、それぞれの地域における教育環境や文化的背景の共通点や相違性など、新たな視点からの研究の可能性を示唆したものである。 続きを見る
5.

論文

論文
郡, 千寿子
出版情報: 弘前大学教育学部紀要.  pp.1-7,  2012-10-31.  弘前大学教育学部
URL: http://hdl.handle.net/10129/5049
概要: 山形県立博物館の教育資料館に所蔵されている文献資料について調査を行い、特に近世期江戸時代に作成された往来物資料の所蔵状況について検討考察した。その結果、確認できた所蔵資料数は109本を数え、写本も加えるとかなりの文献資料が所蔵されていること が判明した。本稿では、その所蔵状況について、資料を目的別の9種類―教訓科・社会科・語彙科・消息科・地理科・産業科・理数科・女子用―に分類整理し、その調査結果を提示した。継続的に行ってきた、北東北地域-弘前市立図書館所蔵・秋田県立図書館・酒田市立光丘文庫-所蔵の往来物資料と比較することによって、地域における資料の偏在状況について考察検討し、共通性と相違性についても言及した。目的別に資料分類することを通して、それぞれの地域における教育環境や文化的背景の傾向の一端を明らかにしたものであり、今後の研究基盤になりうるものである。 続きを見る
6.

論文

論文
郡, 千寿子
出版情報: 弘前大学教育学部紀要.  pp.1-6,  2013-03-27.  弘前大学教育学部
URL: http://hdl.handle.net/10129/5073
概要: 山形における近世江戸時代の書籍の流通状況について、往来物資料の出版地域を通して考察検討した。往来物は、寺子屋などで手習いのために使用された教科書の類の総称であるが、近世江戸時代には様々な種類のものが出版され、東北地方にもそれらの所蔵が確認さ れている。本稿では、特に山形県立博物館の教育資料館に所蔵されている文献資料を中心に出版地域別に分類整理した結果を提示した。特徴的な傾向をみるために、同じ山形県内の日本海地域にある酒田市立光丘文庫所蔵の往来物資料との比較を試み、その共通性と相違性についても言及した。山形県下においては、日本海沿岸部と内陸部における書籍の流通事情が相違しており、日本海域では関西文化の影響が大きく、内陸部では江戸文化の影響が大きかったらしいとの結果が得られた。出版地域に焦点を絞っての検討を通して、江戸時代の東北地方における、文化の流入や定着の傾向を考えようとしたものであり、今後の研究基盤になるものといえる。 続きを見る
7.

論文

論文
郡, 千寿子
出版情報: 弘前大学教育学部紀要.  pp.1-6,  2014-03-27.  弘前大学教育学部
URL: http://hdl.handle.net/10129/5714
概要: 中学生192名を対象に質問紙調査を実施し、進路成熟態度の高低により群分けして、各群において、時間的信念・時間的展望体験が進路選択自己効力に及ぼす影響を進路選択重回帰分析で検討した。その結果、将来無関心は成熟態度の低い群でのみ有意な影響が見ら れるなどのいくつかの群間差が見られた。 続きを見る
8.

論文

論文
郡, 千寿子
出版情報: 弘前大学教育学部紀要.  pp.1-7,  2015-10-09.  弘前大学教育学部
URL: http://hdl.handle.net/10129/5765
概要: 富山県立公文書館所蔵の資料を調査し、そのなかから「往来物」に分類できる資料について検討考察した。その結果、「高堂家文書」に4本、「小山家文書」に2本、計6本の近世期版本の往来物資料が所蔵されていることが判明した。『往来物解題辞典』においても 、所蔵先として「富山県立公文書館」の記載は見られず、従来、調査研究されていないことが知られ、本稿において初めて書誌と資料性について報告するものである。該当資料は、それぞれ「高堂家」「小山家」で所蔵されていたことが判明しており、実際に使用された家庭や背景が明らかであるという点において貴重である。消息科往来が『庭訓往来抄』の1本、教訓科往来が『新板実語教童子教』と『六諭衍義大意抄』の2本、産業科往来が『商売往来』の1本、歴史科往来が『腰越状』の1本、女子用往来が『百人一首・女今川・女消息往来』の1本という結果であった。出版地域別にみると、不明なものが3本あったが、京都「要法寺前町」「浪速」「尾州名古屋」といった多彩な出版地域名が記載された資料がそれぞれ確認できた。特に『庭訓往来抄』は、諸本のなかでも重要な位置づけにある資料性をもつことを明らかにした。東北地域の調査結果との比較検討を含めて、各地域の教育環境や文化的背景についての研究をすすめる上で、今後の基礎となる調査報告である。 続きを見る
9.

論文

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渋川, 良夫
出版情報: 弘前大学教育学部附属教育実践総合センター研究員紀要.  8  pp.71-78,  2010-03-31.  弘前大学教育学部附属教育実践総合センター
URL: http://hdl.handle.net/10129/00008023
概要: 黒石市に存在したといわれている黒森学校は、当時としては交通不便な場所にあったが県外からも多くの人が訪れた。僧侶が教え、独特の教授の仕方があったといわれている。昭和19年に寺が焼失し貴重な資料の多くを失ったが、文献を調べることで当時の様子を知 ることもできた。黒森学校は多い時には、100名を越える寺子がいるとともに、卒業して政治や経済、文教面で活躍する多くの人材を輩出した。基礎的・基本的な事項の徹底は現在の教育にも通じることも多い。文献の収集や聞き取りを今後さらに行うことが、黒森学校を把握するための課題として挙げられる。 続きを見る