1.

論文

論文
安田, 寛 ; 北原, かな子
出版情報: 弘前大学教育学部紀要.  pp.91-98,  2001-03-30.  弘前大学教育学部
URL: http://hdl.handle.net/10129/1571
概要: 明治40年前後になると,津軽の地方紙にも音楽会や唱歌教育の具体的な内容などが掲載されるようになり,津軽地方にも西洋音楽が根づいてきていた様子を知ることができる。本稿では,最初に明治40年前後の唱歌教育や音楽会の様子を明らかにし,次いでこうし た洋楽普及の際に唱法に関して, トニックソルフア唱法によるドレミ唱法と数字譜によるヒフミ唱法の二種があったと思われる点について指摘する。最後に,これまで筆者等が行ってきた一連の明治期津軽地方における洋楽普及に関する研究の意義を明らかにするため,明治期の地方での洋楽受容研究について総括しつつ,近年の洋楽受容史研究に位置づける。 続きを見る
2.

論文

論文
安田, 寛 ; 北原, かな子
出版情報: 弘前大学教育学部紀要.  pp.87-95,  1999-10-10.  弘前大学教育学部
URL: http://hdl.handle.net/10129/1567
概要: 明治期に日本に導入された洋楽が普及していった過程については,以前は,制度的側面を中心とした伊沢らの業績のみに目がそそがれがちであったが,近年宣教師たちが行った讃美歌を中心とした教育にも注目し,広い視野に立って,日本人と洋楽との関係を問い直そ うとする動きが出てくるようになった。しかしながら,一つの地方に注目し,学校教育と宣教師たちによる教育との双方を対比的に把握し,制度面のみならずその内実を明らかにしようとした研究は,これまでのところ,なかったと言って良い。筆者らはこれまで,明治初期からキリスト教が普及すると同時に学校敦言も行われ,かつ,古い史料が今日に至るまで数多く残されているという,きわめて珍しいケースとして津軽地方弘前に注目し,東奥義塾,函館遺愛女学校について考察を行ってきた。本稿は,これまでの研究を踏まえ,主に明治二十年代以降の弘前女学校を中心とした,津軽地方弘前での洋楽普及過程の一端を考察する。 続きを見る