1.
論文 |
荷見, 守義
概要:
劉基の長子である劉璉の死因について、著者は史料上、三つの説を確認した。それは「病に因り在任中に死す」、「政敵の脅迫に因り井戸に堕ちて致死す」、「胡惟庸の党派に薬殺されて死す」の三説であり、そのうち、第三説が事実とすべきである。この説は明太祖
…
が劉璉の弟である劉璟に親しく示したことであり、この時、その場には劉璟以外にも若干の朝臣が同席していたことに加えて、また、明太祖が度々このことに言及したことから、事実無根であることも顧みず口から出任せを言ったとは判断できない。そのほか、明太祖がこのことを劉璟に話した時期は洪武21年末から同23年末であり、これは洪武13年初めに胡惟庸が殺されてからすでに九年以上経った時期のことであり、この時期に明太祖が胡惟庸の獄の処理ために新たな証拠を増やす必要があったことを明示する如何なる史料も今に至るまで発見されていないことから、この時の言及内容は特段の偽造には当たらないと見るべきである。史料から見て、劉璉の人となりはその父劉基と同じく、国家のためなら剛直であり、胡党と同調して悪に染まるようなことをしなかったことが、胡党から薬殺される原因となったとすべきである。また、その剛直な性格から、政敵の脅迫により井戸に堕ちて死んだとは思えないことも傍証できる。その死因を疾病に帰着させる説については、彼と関係が密接な立場の人間から出されたものであり、感情の面から言えば彼らはその正常ならざる死について語ることを避ける。その心情は理解できるが、角度を換えてこのことに向かい合うべきである。劉璉は悪党に頭を下げなかったために被害に遭ったのであり、その死は寧ろ光栄かつ偉大であり、彼と身近な人々はこのことを自ら誇るべきであり、また、その高貴な品格に学べば、非業の死を遂げた劉璉も地下で安息するであろう。
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荷見, 守義
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荷見, 守義
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4.
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荷見, 守義
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荷見, 守義
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6.
論文 |
荷見, 守義
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7.
論文 |
山田, 嚴子 ; 渡辺, 麻里子 ; 荷見, 守義 ; 武井, 紀子 ; 中村, 武司 ; 南, 修平 ; 亀谷, 学 ; 尾崎, 名津子 ; 原, 克昭 ; 関根, 達人 ; 片岡, 太郎 ; 植木, 久行 ; 竹村, 俊哉 ; 瀧本, 壽史 ; 福井, 敏隆 ; 松井, 太 ; 木村, 純二 ; 川瀬, 卓 ; 北原, かな子 ; 木村, 隆博 ; 竹内, 勇造 ; 庄司, 輝昭 ; 多田, 健司 ; 小山, 隆秀 ; 石山, 晃子 ; 古川, 実 ; 長尾, 正義 ; 小林, 力 ; 山崎, 杏由 ; 中田, 書矢 ; 伊東, 信 ; 藤林, 美帆
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8.
論文 |
山田, 嚴子 ; 原, 克昭 ; 荷見, 守義 ; 中村, 武司 ; 亀谷, 学 ; 尾崎, 名津子 ; 新永, 悠人 ; 関根, 達人 ; 片岡, 太郎 ; 葉山, 茂 ; 佐々木, あすか ; 植木, 久行 ; 竹村, 俊哉 ; 瀧本, 壽史 ; 小池, 淳一 ; 小山, 隆秀 ; 山崎, 杏由 ; 中田, 書矢 ; 渡辺, 麻里子 ; 武井, 紀子 ; 福井, 敏隆 ; 松井, 太 ; 木村, 純二 ; 川瀬, 卓 ; 南, 修平 ; 北原, かな子 ; 木村, 隆博 ; 竹内, 勇造 ; 庄司, 輝昭 ; 多田, 健司 ; 石山, 晃子 ; 小島, 孝夫 ; 工藤, 司 ; 仁平, 政人 ; 伊東, 信 ; 藤林, 美帆 ; 古川, 淳一
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