1.
論文 |
安田, 寛 ; 北原, かな子
概要:
学制発布後も遅々として進まなかった公立の唱歌教育に対し,キリスト教の宣教師達は,各地で日本人に讃美歌を教え続けた。したがって,日本人と洋楽受容の問題を考察する際,音楽取調掛と文部省が中心となった音楽教育のみではなく,日本各地で行われたキリス
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ト宣教師達による讃美歌教育の影響を無視することはできないのである。筆者等は以上のような問題意識によって,早くからキリスト教布教が盛んに行われた津軽地方を対象として,洋楽受容に関する研究を重ねてきた。本稿は,津軽地方での讃美歌の受容,特に実際に歌った人々がどの様に受け止めたのか,という意識を窺わせる資料を紹介し,明治期の地方における洋楽受容の一端を明らかにしようとするものである。
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2.
論文 |
安田, 寛 ; 北原, かな子
概要:
明治40年前後になると,津軽の地方紙にも音楽会や唱歌教育の具体的な内容などが掲載されるようになり,津軽地方にも西洋音楽が根づいてきていた様子を知ることができる。本稿では,最初に明治40年前後の唱歌教育や音楽会の様子を明らかにし,次いでこうし
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た洋楽普及の際に唱法に関して, トニックソルフア唱法によるドレミ唱法と数字譜によるヒフミ唱法の二種があったと思われる点について指摘する。最後に,これまで筆者等が行ってきた一連の明治期津軽地方における洋楽普及に関する研究の意義を明らかにするため,明治期の地方での洋楽受容研究について総括しつつ,近年の洋楽受容史研究に位置づける。
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3.
論文 |
宮本, 利行 ; 北原, かな子 ; 肥田野, 豊 ; 北原, 晴男
概要:
明治初年,廃藩置県とそれに続く秩禄処分によって職を失った士族は,深刻な経済的危機に直面することになった。こうした士族救済のため,政府は士族授産事業を遂行し,青森県でも旧藩士族らによりそれぞれ様々な試みがなされた。本稿では,最初に明治初年の青
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森県内に展開した士族授産事業の様子を述べるとともに,特に旧弘前藩士族の動向を取り上げ,当時,東奥義塾に招碑されていた外国人教師が地域産業開発に関わったことや,弘前で行われていた藍の産業化-の試みについて明らかにするものである。
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4.
論文 |
北原, かな子 ; 宮本, 利行 ; 肥田野, 豊 ; 北原, 晴男
概要:
長尾介一郎は近代津軽地方の殖産興業に尽力した人物であり、彼の日記は近代青森の諸相を知る上で貴重な史料となっている。特に明治13年前後は、介一郎が県の勧業を担当したことから、津軽地方内での殖産興業の動きや製糖、藍についての記述が多く含まれる。
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これらは、従来ほとんど知られていなかった津軽藍に関する旧弘前藩士の具体的活動を知るうえで貴重なものであり、本稿は長尾日記を基にして、明治13年前後の津軽での藍-の取り組みを明らかにしようとするものである。
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5.
論文 |
北原, かな子
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6.
論文 |
北原, かな子 ; 山下, 須美礼
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7.
論文 |
北原, かな子
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8.
論文 |
北原, かな子
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9.
論文 |
北原, かな子
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10.
論文 |
北原, かな子
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11.
論文 |
北原, かな子
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12.
論文 |
山田, 嚴子 ; 渡辺, 麻里子 ; 荷見, 守義 ; 武井, 紀子 ; 中村, 武司 ; 南, 修平 ; 亀谷, 学 ; 尾崎, 名津子 ; 原, 克昭 ; 関根, 達人 ; 片岡, 太郎 ; 植木, 久行 ; 竹村, 俊哉 ; 瀧本, 壽史 ; 福井, 敏隆 ; 松井, 太 ; 木村, 純二 ; 川瀬, 卓 ; 北原, かな子 ; 木村, 隆博 ; 竹内, 勇造 ; 庄司, 輝昭 ; 多田, 健司 ; 小山, 隆秀 ; 石山, 晃子 ; 古川, 実 ; 長尾, 正義 ; 小林, 力 ; 山崎, 杏由 ; 中田, 書矢 ; 伊東, 信 ; 藤林, 美帆
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13.
論文 |
安田, 寛 ; 北原, かな子
概要:
明治期日本における洋楽は,軍隊の音楽,宣教師達による讃美歌,学校教育の音楽という順で普及した。津軽地方弘前は,この三つそれぞれの導入に関する史料が比較的多く残されている地域である。特に讃美歌に関しては,明治五年に開学した私学東奥義塾で明治八
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年から宣教師夫人によって女子教育が行われ,さらに同八年に組織された弘前教会の設立者である本多庸一が,日本最初の讃美歌集編纂に携わっているなど,一地方としてのみならず,日本での洋楽受容過程を考察するうえでも非常に示唆に富む地域と考えられる。本稿では,最初に弘前の軍楽導入について述べる。ついで,東奥義塾に現在に至るまで残されている讃美歌集を検討するとともに,東奥義塾女子中学科での教授内容や明治十年の弘前教会日曜学校の様子など,これまでほとんど知られていなかった明治初年弘前での洋楽導入の様子を明らかにする。
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14.
論文 |
安田, 寛 ; 北原, かな子
概要:
明治十五年に函館で開校した遺愛女学校は,当初生徒が集まらず,募集に応じた生徒の多くは弘前出身であった。こうした事情により,函館のメソジストミッションの音楽教育は,弘前の音楽教育と直接つながることになった。本稿では弘前での洋楽受容史を理解する
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一端として,遺愛女学校で行われた音楽教育について,女性宣教師の報告などから明らかにする。また,弘前での音楽教育普及に関して重要な役割を果たしたと見受けられる長嶺サグについて,その経歴を明らかにする。長嶺サグは盛岡出身で,岩手県より選抜されて東京女子師範学校に学んだあと,師範学校の教員,函館遺愛女学校教師を経て,八八年に本多庸一と結婚した女性である。彼女は,東京女子師範学校では,文部省お雇い音楽教師から,最新の唱歌教育をも学んでいた。文部省がはじめたばかりの唱歌教育と函館居留地でのミッションの讃美歌教育という,当時の新しい西洋音楽教育を二つながら体験した女性として,洋楽受容史から見てもサダは重要な人物である。
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15.
論文 |
安田, 寛 ; 北原, かな子
概要:
明治期に日本に導入された洋楽が普及していった過程については,以前は,制度的側面を中心とした伊沢らの業績のみに目がそそがれがちであったが,近年宣教師たちが行った讃美歌を中心とした教育にも注目し,広い視野に立って,日本人と洋楽との関係を問い直そ
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うとする動きが出てくるようになった。しかしながら,一つの地方に注目し,学校教育と宣教師たちによる教育との双方を対比的に把握し,制度面のみならずその内実を明らかにしようとした研究は,これまでのところ,なかったと言って良い。筆者らはこれまで,明治初期からキリスト教が普及すると同時に学校敦言も行われ,かつ,古い史料が今日に至るまで数多く残されているという,きわめて珍しいケースとして津軽地方弘前に注目し,東奥義塾,函館遺愛女学校について考察を行ってきた。本稿は,これまでの研究を踏まえ,主に明治二十年代以降の弘前女学校を中心とした,津軽地方弘前での洋楽普及過程の一端を考察する。
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16.
論文 |
山田, 嚴子 ; 原, 克昭 ; 荷見, 守義 ; 中村, 武司 ; 亀谷, 学 ; 尾崎, 名津子 ; 新永, 悠人 ; 関根, 達人 ; 片岡, 太郎 ; 葉山, 茂 ; 佐々木, あすか ; 植木, 久行 ; 竹村, 俊哉 ; 瀧本, 壽史 ; 小池, 淳一 ; 小山, 隆秀 ; 山崎, 杏由 ; 中田, 書矢 ; 渡辺, 麻里子 ; 武井, 紀子 ; 福井, 敏隆 ; 松井, 太 ; 木村, 純二 ; 川瀬, 卓 ; 南, 修平 ; 北原, かな子 ; 木村, 隆博 ; 竹内, 勇造 ; 庄司, 輝昭 ; 多田, 健司 ; 石山, 晃子 ; 小島, 孝夫 ; 工藤, 司 ; 仁平, 政人 ; 伊東, 信 ; 藤林, 美帆 ; 古川, 淳一
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